INTERVIEW

2021.06.16
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INTERVIEW03

プロポスタが手がけた『PROPOSTA di CASA』の計画がいよいよ完成しました。

21年の歳月を経て街の風景に溶け込んだ風情を残す中島町の煉瓦造りの建物に、イタリア最高峰のキッチンブランド、Dadaのショールームがつくられました。

『PROPOSTA di CASA』の完成を記念してこのプロジェクトに関わった建築家、中村久二氏とプロダクト・インテリアデザイナーの高須学氏、特別ゲストとして、アルフレックス ジャパン代表取締役社長の保科卓氏を迎え、弊社代表 山川登久とともに、中島町の魅力、Dadaの世界観、現在から未来を見据える魅力的な住空間とは?にいいたるまでお話をうかがいました。


Interview Video
ー『PROPOSTA di CASA』としてスタートした計画が完成しました。
皆様の率直な感想をお聞かせください?

アルフレックス ジャパン 代表取締役社長 保科卓(以下、保科) 想像してた以上の完成度で驚いています。かっこいいし居心地も良く、山川さんらしい空間を創られたなと思います。中村久二さん、高須学さん、ニコラ・ガリッツィアの素晴らしい仕事ぶりが垣間見れますね。

中村久二 ZEN環境設計 代表取締役社長 (以下、中村) この建物の当初の設計コンセプトは、一人のオーナーのためにその方が年老いても使える空間を創るというものでした。時間が経てばたつほど雰囲気が出てくる素材を選びながら設計しました。ここはコンパクトな敷地です。周辺に川があり、その向こうに教会がある、狭いスペースに朝から夕方までに様々な表情の光が入り、そこに人々が集うという空間がこの先も続いていくということは素晴らしいことだと思います。それをプロポスタの山川さんが引き継いでいただいたことは嬉しいですね。

高須学 タカスガクデザイン アンド アソシエイツ代表 (以下、高須) 手がける面積以上にやりがいがあるプロジェクトでしたね。このプロジェクトのグランドデザインは、イタリアのデザイナーであるニコラ・ガリッツィア が描きましたので私の役目は、ニコラや山川社長、中村さんの意図を理解しながら具体的な計画を前に進めていくという役割でした。また、この建物にはかつて伝説の名店といわれたバー中島町のお客様をはじめ、様々な方の思い入れがあるということも理解していましたので、人の思いを裏切らないものにしなければいけないと緊張もしました。新しくするということではなく、更新することに力を注いだ仕事であり大変よい経験をさせていただきました。

山川登久 ヤマカワ装飾代表取締役社長(以下、山川) 描いていたヴィジョンに限りなく近づけたものになったと思います。21年前に中村久二さんが設計して建てられたこの建物が朽ち果てて行く前になんとかこの佇まいを残しながら復活させたいという思いから始まったプロジェクトでした。お2人を始め、携わっていただいた皆様に感謝します。


ー 山川社長とアルフレックスジャパンの保科社長の出会いは?

山川 私が当時、父が経営していたヤマカワ装飾に入ってまず考えたのは、ブランディングされている企業としっかり手を組んでやりたいということでした。そこで真っ先に頭に浮かんだのがアルフレックス ジャパンでした。最初は、ほとんど押しかけのように、アルフレックスジャパンの商品を取り扱いさせてくれと頼みに伺いました。22,23年前ですね。

保科 もう随分昔のようですね。

山川 その時の保科社長の印象は、いつも1人で静かにおられるという印象で。孤独な人なのかな?(笑)と最初思っていました。

保科 そうなんですか?それは意外ですね。孤独だったつもりはないんですが(笑)


ープロポスタの空間的な魅力とはどういったところでしょう?

保科 プロポスタさんというのは、アルフレックス ジャパンの卸売りの販売店の中では、全国で一番私どもの商品を売っていただいている会社です。福岡のプロポスタのショールームは、本当によく考えられている空間です。店舗としては全国的にも特殊というか抜き出たショールームですね。一言でいうとプロポスタはセンスがいいのです。山川社長を始め、今日ご一緒している中村さん、高須さんも含め、山川さんのブレーンはセンスがいい人が揃っているというのが私がいつも感じることです。教わることが多いですし、われわれとの仕事もあうんの呼吸で進められます。


ー 隣のプロポスタのショールームも中村久二さんが手がけられ、
後に高須学さんも関わられたのですよね?

山川 プロポスタの今の佇まいを作ってくださったのは中村久二さんのおかげです。中村さんと作り上げたこの空間の住宅スケールで家具を見せるという店づくりはプロポスタが大切にしていることです。その後の売り場を拡張したときに、高須さんに無理難題をお願いしました。

高須 当時、山川社長に言われたのが、「改装したかしてないのかわからないような改装をしてください」ということでした。(笑)

山川 最近思うのは、カーサミア河口湖(アルフレックスの思想が凝縮された総合プレゼンテーション施設)もそうですが、時間を経ていい佇まいを残している空間というのは、建具の強さだと思います。その意味では、中村久二さんが創られたここ中島町もプロポスタも建具の力があるということだと思います。

中村 ヨーロッパは、基本的に石層文化ですので窓は、ぽつ窓です(外壁に独立してつけられた窓)。アジアは、湿度が高いので、できるだけ柱があり面で光を入れる文化です。線で光が入ってくるヨーロッパと、障子やガラス戸越しに面で光が入ってくるアジアとでは違うわけです。蛍光灯が日本人には受け入れられてヨーロッパの人たちには受け入れられないのは、蛍光灯の光が面で照らすからです。
プロポスタは、柱をあえてつけて室内の中心に中庭を作りました。
中島町は、柱があって軒を深くとり建具を開くことによって面で光を入れるというアジア、日本人が好きな光の処理になっています。

山川 プロポスタの空間は、中村さんが商業建築のイメージではなく、住宅スケールで光や空間の処理をしていただいたので20年経った今でも古さを感じません。アルフレックス 、モルテーニの家具は、家具単体ではなく、空間を作るという指向性が強いので毎年色味を変えた商品をショールームに入れてもちゃんと収まるのを見ると改めて、住宅スケールの「場」の大切さを感じますね。

中村 お客さんがうちの家にこの家具入れても入るなとイメージできるものにしたいと思っていました。

高須 プロポスタの店内のスケール感は秀逸です。家具を置いた時の天井の高さ、幅の調和が違和感なく感じられます。居心地がいいのは、ヒューマンスケールに基づいているからだと思います。この業界で仕事をはじめてプロポスタに来た時から素晴らしいと思っていました。


ー 中村さんと高須さんは、アルフレックスの家具について
どのような印象をお持ちですか?

中村 アルフレックスは、私が若い頃からあるイタリアの有名ブランドですが、イタリアのいいところは、デザイナーの力を凄く尊重するところだと思います。特に素晴らしいのは、一度世に出した商品は何十年経っても創り続けるところです。特にアルフレックスの家具は、本物でありながら超高級路線ではなく絶妙な価格設定をしているところです。絶対手の届かない家具ではなく、頑張ったら手が届く、そのかわり一度手にしたら一生使い続けられる家具を創っているのがアルフレックスの魅力でしょう。

高須 一般的にイタリアのデザインって先鋭的で斬新なデザインで時に、取っつきにくいという一面もあると思うのですが、アルフレックスやモルテーニは、デザインはしっかり整えられ美しいものなのですが、それ以上に歴史やライフスタイルに対するリスペクトがあることによる普遍性のあるデザインになっていると思います。アルフレックスやモルテーニの家具が古い日本家屋にお置かれていても絵になるのは、デザインの普遍性に成功しているからだと思いますね。

中村 アルフレックスの家具は従来ヨーロッパスケールで作られていたものですが、日本の住宅スケールに合わせたサイズにし、質を落とさずにつくったのは、アルフレックスというより、アルフレックスジャパンの功績だと思います。

保科 アルフレックスジャパンの製品は、日本独自のマーケットに対して100%日本のために開発しているものです。弊社の製品をよく見ていただいていて本当に嬉しいです。


ー 中島町の建物にDadaのキッチンを
入れようと思ったアイデアのきっかけは?

山川 この建物をなにかに使いたいとはずっと思っていました。でも具体的なアイデアはなく、そもそもスペースも限られているので隣のプロポスタを拡張して家具を置いたとしてもたいして数は置けないわけです。飲食店をするなど他業種に手を出すつもりも全くありませんし。でもこの空間は大好きだと思い続けていた時に、保科社長がMolteni&CとDadaの取り扱いを始められました。青山のショールームに伺って、保科社長のDadaに対する情熱も感じ、イタリアでもDadaを見てキッチンの売り方の変化も感じたので徐々に具体的になってきました。ただ一方でキッチンを売る難しさも理解していました。


ー キッチンの難しさとは、どういったものですか?

保科 住空間に占めるキッチンの役割というのは益々大きくなっています。今、キッチンは家の真ん中に進出してきています。ただキッチンを扱うということは、電気、水道、ガス、排煙など設備のこともあり、家具のように部屋に設置して終わりというものではありません。

山川 キッチンを扱うと、いわゆるリフォームの領域にも関わってきます。それに関する関連業者もたくさんあり家具業界とはまったく違う世界があるわけです。プロポスタは、リフォームを請け負うベクトルにするつもりはありませんでした。そうはならずにキッチンを売る方法があるのだったらそれはチャンスだと捉えていました。
今までのプロポスタは、リビングとダイニングの空間を提案する企業でした。Dadaを始めることによってビジネスの幅も出てきます。


ー 保科社長がDadaを取り扱おうと思われたきっかけは?

保科 Dadaの取り扱いは3年前に始めました。モルテーニの家具は、それ以前から取り扱っていましたのでモルテーニの傘下のキッチンブランドのDadaもいつかは取り扱うとは思っていました。家具業界も少子高齢化でマーケット自体の規模は今後縮小していくと言われている中、リビング、ダイニングだけではなく、キッチンを含めた内装インテリア全般に視野を広げた取り組みが必要になってくると理解しています。キッチンという分野もこれから重要なマーケットになっていくはずです。


ー Dadaというキッチンブランドの魅力は?

中村 戦後ぐらいまで日本は生活の場にキッチンはありませんでした。一回外に出た場所で炊事をやっていたんですね。それが段々とキッチンが部屋の中に入ってきて、現在のトレンドは、リビングの中心にキッチンがあるというものです。キッチンの周りに家族が集まってそこに営みがあるというのがこれからの日常風景となっていくでしょう。これはライフスタイルの要望ですね。キッチンのあるリビングが一番居心地のいい空間でありたいとみんなが思い始めているわけです。私は、住宅設計はあまりしないけど、住宅の作り手が今一番考えるべきことではないでしょうか?Dadaのキッチンは、主役たるキッチンの見本のような商品ですね。

高須 Dadaはここ数年で変わりました。

保科 おっしゃる通りです。

高須 Dadaのデザインも数年前にモルテーニ同様にヴィンセント・ヴァン・ドゥイセンがクリエイティブディレクションを手がけるようになってキッチンがよりインテリアファニチャーキッチンとなったと思います。まさに生活の中心にキッチンがあるようになってきました。Dadaのキッチンは、従来のキッチンとはサイズ感も導線の作り方も違います。キッチンを家具として捉えるということを掲げているのがDadaの魅力だと思います。

保科 今回、プロポスタさんの隣のこの素敵な空間に入っているのは、Dadaの象徴といってよい、VVD(ヴィーヴィーディー)という、建築家のヴィンセント・ヴァン・ドゥイセンが手がける最先端のフラッグシップモデルです。

山川 この商品を直に見ることができるのは、国内では、東京の青山と大阪の直営店の他、ここプロポスタだけです。日本国内の需要も上がってきていて、東京の森施設にDadaのキッチンが取り入れられたり、福岡では、最近手がけた高級マンションにもDadaのキッチンを取り入れさせていただきました。キッチンに対する人々の考え方が劇的に変わり、その需要もますます広がりつつあることを実感しています。

PROFILE
プロフィール画像
中村久二 (写真左)
ZEN環境設計 代表取締役社長
1954年福岡生まれ。UCLAカリフォルニア大学ロサンゼルス校環境デザイン大学院卒業 Mster of Arts。アイランドシティデザインガイドライン(福岡)、シーサイドももちセンタープラザや地行中央公園などのパブリック設計(福岡)、博多港中期ビジョン「福岡市港湾計画」(福岡)、貴陽住宅地マスタープラン(中国)、博多まちづくりガイドライン「博多駅一体」(福岡)、天神地区の開発デザイン(福岡)、北九州市の紫川開発(福岡)、海の中道海浜公園マスタープラン・基本計画(福岡)など、都市計画・ランドスケープに関わる実績多数。博多廊(福岡)、寿司麻生 平尾山荘(福岡)、IMDスクエアー「白金酒店・茶房」(福岡)など、空間の美しさも評価されるレストランやホテルも数多く手がけている。

保科卓 (写真左から2番目)
アルフレックス ジャパン 代表取締役社長
1965年京都生まれ。慶應義塾大学卒業後、88年にアルフレックスジャパンに入社。 以来、輸入部門、管理部門、経営企画部門などを経て、08年にイギリスにてMBAを取得。13年に代表取締役社長に就任。

高須学 (写真左から3番目)
株式会社 タカスガクデザイン アンド アソシエイツ 代表
1974年福岡生まれ。九州芸術工科大学芸術工学部工業設計学科卒業後、長峰秀鷹氏に師事。2002年にタカスガクデザインを設立。クライアントとエンドユーザーのためのショップインテリアデザインや、スマいてそれぞれの心地よい「間」を導き出す住空間デザイン、モノ本来の持つべき姿形やそのストーリー性を深く読み、腑に落ちる形を追求する家具プロダクトデザインなど、空間から家具・日常品のプロダクトデザインまで幅広い領域でデザイン活動を行なっている。

山川登久 (写真右)
株式会社ヤマカワ装飾 代表取締役社長
1960年北九州市生まれ。成蹊大学経済学部卒業。卒業後、米国メインフレームコンピューター会社に勤務。電力会社、特に原子力発電を中心とした発電系システムをフィールドとする営業を担当。1998年ヤマカワ装飾入社。2000年にPROPOSTAを開設。
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