福岡市博多区の中島町を流れる博多川のほとり、プロポスタの隣にある一本の桜の木、その奥にひっそりと風情のある佇まいの煉瓦造りの建物があります。
そこは約20年前、福岡の財界、著名人、また東京をはじめ様々な場所から個性的で思慮深い粋な男たちが集まった伝説の会員バー『中島町』がありました。
会員の年会費10万円、100人限定、席数はわずか12席のカウンターのみ。
PROPOSTA代表の山川登久が北九州から福岡に来て、豊かな出会いを育んだ名店。
この度、縁あってこの敷地と建物をPROPOSTAが引き継ぐことになり、現在改装工事が進行中です。
プロジェクト名は『Project 中島町』。
このプロジェクトの完成予定である2021年2月まで『Project 中島町』に関わる建築家、インテリアデザイナー、クリエイターにお話を聞きながら完成までの物語を追いかけます。
第1回目は、当時の「中島町」店主、武田としさんと一緒に会員制バー「中島町」のコンセプトから設計までを手がけ、隣のPROPOSTAの店舗設計も手がけたZEN環境設計の中村久二さんにPROPOSTA代表の山川登久が当時の思い出と「中島町」の未来について語り合いました。
ー中村久二さんと山川社長の出会いの頃のお話からはじめましょうか?
その頃、有名なインテリアデザイナーであり、世界的な椅子のコレクターとしても有名な永井敬二さんに当時の仕事のパートナーが連れられて「中島町」を訪れました。
その後、私も何度か通ううちに、隣のビルの1階が賃貸で出ているということを知り、こんな素敵なお店の隣に自分の会社があるのはいいと思い、そこを借りてプロポスタをスタートさせました。
スタートさせてすぐに、アルフレックス商品を発注してくれたのが久二さんでした。
当時、久二さんが手がけていた福岡の財界の方の自宅のマンションにエー・ソファ(A・SOFA)を納品に行った時の感動は忘れられません。
部屋がかっこよくてね。テラスに船の帆のようなテントが出ていて、モダンでもなく、クラシックでもなく、オリエンタルでもなくというなんとも不思議で素敵な空間でした。
隣の「中島町」を手がけられているのも中村さんでしたし、この方といつかはお仕事させていただきたいと思いました。
当時の「中島町」には、福岡の名だたる企業のトップの方や、ちょっとクセのあるかっこいいおじさんたちだけが集まっていました。女性のお客様はほとんどいませんでしたね。
インテリア業界でいえば、旧友の小坂竜とか森田泰通といった日本を代表する商業デザイナーも中島町を愛して、空港から直行して一人で塩おむすびを食べながらワインを飲んでるなんてこともありました。みんなカッコよかったんですよ、本当に。
その時に、感じた至福の時間を形づくっていたのは、魅力的な方々との出会いだけではなく、精密に計算された店舗空間があったはずです。
今回、久二さんが「中島町」そして、われわれプロポスタの空間を設計をされたときに込められた思いをお伺いできればと思います。
先ずは、久二さんが「中島町」を手がけられたきっかけは?
当時、私が住んでいる隣のビルにとしさんのお店(ウォータークラブ)があって、いつも一杯飲みに行っていたというのが彼女との出会いです。
その後、彼女から「中島町の博多川沿いに不思議な空き地があって、そこに店を作りたい」という相談を受けました。
それが「中島町」のはじまりです。
会員100人限定、年会費10万円のお店です。連れは1人しか連れてきてはいけない。としさんの人脈ですぐに100人集まりました。
としさんがずっと永く続けていける空間、時間が経てば経つほど味が出る空間を意図しました。
なので、「中島町」の軸は、その境界に向かって線を引きました。
軒を深くし、天井の勾配をきつくして屋根は本物のスレートを使用しました。外観のレンガ以外は、木造的に見せて光の動き、夕暮れのたわんでくる光と夜に庭が持つ人工的な点の光を感じられることにこだわりました。店内は、カウンターのみ。人と人との和ができる小さな空間に世界観を持たせたかったのです。そのために、あえて普通の店より小さくつくりました。
ソメイヨシノは花を見るために作られた人工(栽培品種)の桜なので、上から下に花が垂れています。下から人間が見上げると花びらが人間に向かって開いています。また、枝と枝が重なっているでしょ?本来、植物の特性は枝を重ねません。ソメイヨシノは、同じ温度になると花が咲き、ある温度になると散る。そのように人工的に作られているから桜前線というのが把握できるわけです。
でも、知る人ぞ知る名店も有名になりすぎて、当初の雰囲気を維持するのは難しかったようですね。
仕方なく会員を200人に増やした。すると今度は、お客様の人間関係も複雑になり、内緒話ができる個室をつくって欲しいというリクエストが来た(笑)
私は3年間ぐらい抵抗したのですが(笑)個室を増築しました。
お店のコンセプトと収益、お客さんとの距離の取り方など、飲食店というのは難しいものですね。
私は反対しなかったのですが、お店の真ん中に中庭?という意見も出ましたね。
当時、家具の店には定型のカタチがありました。空間をできるだけフラットに広い空間にして、リビングやキッチン、ベットを自由に配置するというものです。今でもわりとこの定型がインテリアショップの定番です。1960年代に、イギリスのザ・コンランショップの食器を取り扱ったHABITA(ハビタ)という店から来ています。
当時、ザ・コンランショプの創始者でデザイナーのテレンス・コンランが手掛けたこの店がインテリアショップに革命をもたらしました。例えば、それまで商品のお皿は、壁の棚に斜めに置いて皿の絵柄を見せるというものでした。ウエッジウッドなどの高級店も全てこの考え方。ところが、HABITAは、皿を棚やテーブル、床の上に重ねて置いたのです。そして別にテーブルセットを設けセンスの良いテーブルセッティングを見本として並べる。提案方の陳列ですね。今は、どこでもやっていますが当時は革命的で世界中がHABITAを真似しました。
私も、中学生の頃、青山のオレンジハウス(アルフレックスの創業者 保科正氏が創業)に行って床に重ねておかれた食器展示を見てビックリしました。
食器は茶碗屋で買うという当たり前の文化がそこには全くなく、中学生でも震え上がるほどカッコよかったですね。
ただあまり、そんな常識にとらわれていても面白くない。ということで、プロポスタのプランを考えました。
まずサッシを変えて、窓を大きくしました。店の真ん中に中庭を作ることによって小さなリビング空間(マンションの居室サイズをイメージできる)を中庭の周りに4つつくるというイメージです。家具を陳列する店の常識から抜け出してもいいと思いました。
3,4ヶ月ディスカッションしましたね。
飾り柱の意味は、せまい空間に4種の部屋を分けるので領域をつくって光と影で表情を持たせることが必要でした。
通路に光と影のリズムをつけることによって、店内を歩くお客様が空間の表情を感じる。
これを読まれている方は、一度、プロポスタに足を運んでください。斜めから入る陽の光、店内奥の調度品の光、中庭の光と、その向こうにある別の調度品の光が一体となった空間ができているはずです。
ニセモノを見続けても本物の良さはわからないけど、本物を見続けるとニセモノとの違いがすぐにもわかります。
建物も家具も時間がたてば味がでる。プロポスタの内装も「中島町」もそのようにつくりました。
美しいものとは、すべてそうです。人間もそう。人間は本来、歳をとるたびに深く美しくなるものです(笑)歳をとっても美しくない女性がいるとしたら、そばにいる男が悪いですね(笑)
ニコラはMolteniの受注した大型物件を数多くデザインしており、日本では森ビルさんの六本木ヒルズの住宅棟のリ・デザインや現在計画中の森ビルさんの新規集合住宅などを手がけてます。また若い頃はイタリアの建築家、アルド・ロッシの事務所に在籍しており中洲のホテル イルパラッツォを担当していた経歴も有しています。
福岡には何度も来ていますが、来るたびに「中島町」の建物と敷地にとんでもない興味を持っていました。「なんだかわからないけど凄い、絶対あの建物を壊しちゃいけない。」と彼がいつも言ってたことが印象的で、それも彼を選んだ大きな理由です。
私とニコラには、川向こうの教会側からプロポスタと「中島町」の一体化した絵が見えています。プロポスタと連続性のある空間にするプランを徹底的に練って行こうと思っています。
ヴィンセント・ヴァン・ドュイセンのデザインしたキッチンが入る予定です。この空間を訪れた人が、なんだか落ち着くね、こんな空間に住みたいねと思えるようなものにしたいと思っています。
久二さんには、このプロジェクトの全体の味付けをお願いしたいと思っています。
コロナ禍で計画変更にならなければ、来年の2月ぐらいに完成したいと思っています。